夢の話

 小さい頃、生まれて一番最初に持った夢はなんだったか。

記憶が確かではないが幼稚園の卒アルの夢の欄には幼稚園の先生と書かれていたので私が最初に持った将来の夢は幼稚園の先生だったみたいだ。本心だったのか、そもそもこの世界に存在する職業についての知識が乏しかった故に当時1番身近な存在であった幼稚園の先生を選んだのかもしれない。

 次に意識的に、しっかりとした芯を持ってなりたいと思った職業はマンガ家だった。

小1の頃にちゃおを読んだことがきっかけで今でも漫画好きだ。付録には目もくれず漫画を読むことが大好きだった。

体調不良で学校を休むと、退屈している私に母親がちゃおDXというちゃおの増刊号を買ってきてくれるので早く具合悪くならないかな〜と思っていた低学年時代だった。

4年生になるとChuChuというちゃおのお姉さん雑誌を読み始めた。私が読み始めてまもなくChuChuは残念ながら休刊(という名の廃刊)になってしまいとても悲しんだことを覚えている。ChuChuでは特に七島佳那先生の7センチ!という漫画が大好きでその漫画の中に1話につき1体謎のキャラクターが隠されているという仕掛けがあったので毎回読むのが楽しみだった。

ChuChuが休刊を迎え、ChuChuで連載していた漫画家さんはちゃおに移行したりSho-ComiCheese!に移行することが決定したため、私もどの漫画を買うか悩んだことを覚えている。小学生のお小遣いでは読みたい漫画を全て買うことは不可能だったからだ。そして悩んだ末私はSho-Comiを毎号買うことに決めたが小学生の私にとっては少しオトナな内容だったためドキドキしながら読んでおり、当時の漫画好きな友達との間でこそこそと漫画の感想を言い合ってはキャーキャー言うようなおませな少女だった。

 少女漫画育ち故に今でもロマンチックな恋が落ちていないかと探したりはしているが22歳になるとあのような展開は稀であり、確信的にドキドキさせることが上手い男は大概遊び人で私に興味があるのではなくそういう目的があるだけなので簡単に沼ってはいけないということも学んだ。

話は逸れたが漫画好きが高じていよいよ漫画家になりたいと思い始めたのは小学校中学年くらいの頃だったと思う。文具屋でGペンもどきの安いペンを購入してcampusノートに毎日絵を描いていた。初めて完成させた漫画はホラー漫画だった(当時から謎チョイス)。しかし高学年に突入すると自分より絵が上手い子はゴロゴロ居ることに気付き、自分には才能がないと諦めた。だが漫画が好きということには変わりがなかったので漫画関連の仕事に就きたいという思いから編集者になりたいと思い始めた。

特にChuChuが休刊した事は私にとっては衝撃で、当たり前だと思っていたことがこんなにも簡単に無くなる、というのを人生で初めて経験したことから、置いていかれる側になりたくないと思ったことも大きい。また、休刊に至るまで何かできることは無かったのか?などのどこにぶつければいいか分からないもやもやを小学生ながら抱えており、最終号を迎えたChuChuを読みながらこの終わらせ方は無理やりすぎるやろ、、と嘆いたことも覚えている(上から目線ですみません)。

そうして私の小学校の卒アルには漫画の編集者になりたいと書かれている。

クラスメイトの夢はサッカー選手、バスケットボール選手などのスポーツ選手や女優、歌手などの芸能系が多く書かれている中で私が書いた漫画の編集者という仕事は現実的な仕事かも知れないけどそんなことはない。

編集者は私のような凡人がなれる仕事ではなく並々ならぬ漫画への愛と知識、そして学力が無ければ到底無理だからだ。

 

このようにして将来の夢とは子供時代から大人にかけて幾つも変わっていくものであると思うが、その転換期ひとつひとつに挫折があるのだろうか。子どもたちがスポーツ選手の夢を無理だと感じる時期はいつなのだろう?

好きを仕事に、という言葉はあるが好きを仕事にできるほど世の中甘くないんだと大人は言う。これについて色々考えていきたい。

 

 私は漫画家になりたかったが自分の才能のなさを自覚し諦めたと前述した。しかしそこで諦めるのではなく死に物狂いで絵を勉強し毎日毎日練習すればもしかしたらまともな絵を描けるようになっていたかもしれない。

そこで諦めたから夢はストップした。これは挫折ではなく甘えだ。もしくはそもそも本気でなりたいと思っていなかったのかもしれない。

 次に編集者の夢について、中学に上がると段々少女漫画を読むことも減り(忙しくなったことも要因)こちらは諦めると言うよりフェードアウトして行ったという方が正しい。

このようにして結局私は絶対にこれになりたいという夢もなく、そのための努力もせず22歳となってしまった。心が沸き立つほどの何かが無いことがコンプレックスだった。専門学校に進む友人が羨ましかった。私には専門的に学びたいことなんて1つもなかったから。

 就活中もやりたいことなんてないなあ、とずっと思っていたが得意不得意は何となくわかっていたのでどちらかと言えば自分に合っていそうという直感で進めていた。

そんな時、応援しているアイドル中村嶺亜くんのミュージカルを観劇した。とてもとても輝いていて、そこに立っているだけで涙が出るほど眩しかった。存在しているだけで価値がある人とはこういう事をいうんだと実感した。

その日は特殊で、コロナの影響でその日限りの公演となってしまった。全公演走り抜けることが出来なかったその悔しさや悲しさで涙が出たというのもあると思うが、なんというか言語化が難しいけれど、嶺亜くんの存在に涙が止まらなかったのかもしれない。

公演前に前方に座っているファンの方のスマホのロック画面は嶺亜くんで(たまたま見えた)、そうだよなここにいる人はみんな大好きな人を見に来てるんだよな、とじんわりした。

アイドルって本当に尊いなあと常々思っている。アイドルとして生き抜く覚悟を持っている嶺亜くんは私とは正反対のような眩しい人で、ただただかっこよくていつも涙が出そうになる(脱線しすぎて嶺亜くん大好き日記になってしまった)。

人生をかけても惜しくないと思える夢(仕事)に出会えたことも羨ましいし、その夢に向けて努力を惜しまない姿に胸を打たれる。

好きを仕事にすることは、多分嫌いなことを仕事にするよりずっとずっとキツイものだと私は思う。

嫌い(不得意)なことを仕事にすると、作業面で大変だとは思うが「まあ私この仕事向いてないし。嫌いだし、こんなもんでええやろ」と一種の逃げのような考えが浮かぶが、好きを仕事にしたらそのような言い訳は一切通用しないからだ。

好きを仕事にしている人はとてもかっこいい。そして好きを仕事にして食べて行ける人はとても強い。

 

私は、やはり、好きな物事は趣味でいいかなと思ってしまった。要はその程度の熱量だったのかもしれない。

漫画は今でも読むことが大好きだが描きたいとは一切思わないし、それ以外にも昔好きだったことがいつの間にかフェードアウトして行っていることが少し怖い。あんなに大好きだった何かがどうでも良くなっていることに気づくことが最近増えていてこれが大人になることなのかと、少し悲しい。だからこそ自分の好きなことにまっすぐで自分の夢を信じて疑わずひたむきな人に強烈に惹かれてしまうのだろうか。

 夢を持てることはとても幸せな事だと思う。私は絶対的な夢を持てなかったので、夢を持っている人を応援することでそのコンプレックスを昇華させてもらっているのかもしれない。大好きな人たちの夢が叶うことで私も幸せにしてもらっているんだということに気付きました。

 

おわり